出張3日目。せっかくの広島なので、今日も朝から広島観光に出かけました。
まずは有名どころ、こちらも世界遺産の原爆ドームへ。
チェコの建築家ヤン・レツルが設計した広島県物産陳列館という建物で、昭和20年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機に原爆が投下され、爆心地から約160メートルの至近距離で被爆しました。
その際、爆風と熱線を浴びて大破し、天井から火を吹いて全焼しました。
残骸は、頂上の円盤鉄骨の形から、いつしか原爆ドームと呼ばれるようになったそうです。
続いては平和記念公園へ行きました。
TVで良く見る「原爆の子の像」がありました。
原爆の子の像は、像のモデルの佐々木禎子の同級生たちによる募金運動により作られた像です。
この像の真下にある石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれていました。
平和の灯の台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現していて、水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和への願いをこめているそうです。
昭和39年8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。
平和記念公園を後にし、広島城へ向かいました。
その途中に、「平和の鐘」がありました。
この平和の鐘は昭和24年に当時の広島銅合金鋳造会が、原爆犠牲者の鎮魂と平和への願いをこめて焼け跡がら集めた金属を鋳込んで作り、広島市に寄付したものです。
ちなみに平和の鐘はもう一つあり、そちらの方が有名な平和の鐘です(笑)
とにかく平和が一番ですね。
広島城は、鯉城や在間城とも呼ばれていて、毛利輝元が築いたものと言われています。
天守閣や太鼓櫓などが残っていましたが、それらも原爆によりすべて失われてしまいました。
広島護国神社は、明治元年に戊辰戦争で戦没した78柱の広島藩士を二葉の里の水草霊社に祀ったのがはじまりだそうです。
昭和9年に旧市民球場の西側に移転されましたが、その後原爆で焼失し、昭和31年に現在の場所に再建復興されました。
広島東洋カープが毎年必勝祈願のために参拝することでも知られています。
この後、お仕事を済ませ帰路に着きました。
仕事は大変でしたが、いろいろと楽しめました。